こんにちわ、Honjです。(^^)
名 前 : | 本城敬志(ほんじょうたかし) |
生年月日 : | 1964.3.10(魚座) |
血 液 : | A 型 |
性 別 : | 男 |
住 所 : | 東京都文京区 |
仕 事 : |
システム開発 # ミュージシャンと書けないところが辛い。。。(^^; |
若かりし頃のHonj | |||
<熱唱> |
<仲良し> |
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現在のHonj
とは言っても既に6年前。。。 |
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<子供達と> |
昭和39年3月10日、岡山県英田郡作東町に出生。で、まだ幼い頃、兵庫県加古郡播磨町にお引っ越し。その後、高校卒業までここで暮らす。 高校時代にギターを始め、シンガーソングライターを目指して「ミュージックジャケット」という音楽サークル(?)に参加、各地でミニコンサートを開いて同世代を中心に幅広いファンを獲得した(?)。 高校卒業後、東京へ。夢にまで見た東京で「花」を咲かせようとさっそく尊敬するさだまさし氏の「フリーフライト」へギターを抱えて押しかける。が、丁重に断わられ、後日自作の曲をカセットに収録して送るが音信不通・・・。うるうる。。。 2年後「歌手になる」という理由で会社を退社。以降3年間「世捨て人」的な生活をおくるが、23才で無事結婚。2人の子供を授かるが、10年経って離婚・・・。現在、独身に戻って再度「夢」に向かってがんばっております。
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高校1年の冬、「ザ・ベストテン」を見ていた時、さだまさし氏の「天までとどけ」に感動。しかも司会の黒柳徹子女史が「さださんって、自分で詞を書いて、自分で曲を作って、自分でギターを弾いて、自分で歌うんですよねぇ。。。」と紹介し、Honjは「世の中にはそんなすごい人がいるのか。」とさらに感動。この時点で既にさだ氏をめちゃめちゃ尊敬してしまった(安易だ)。で、Honjも「名曲を作りたい。よし、まずさださんのレコードを買ってこよう!」と、翌日張り切ってレコード店「ミヤコ」へ行った。さださんのコーナーはすぐに見つかったが、同じ「シンガーソングライター」というコーナーに吉田拓郎氏や井上陽水氏のレコードもあり「えっ?この人たちもそういうすごい人達だったんだぁ。。。」と、唖然としてしまった。そもそもHonjは詞は作詞家、曲は作曲家が作るものだとばかり思っていたのである・・・。 この時、Honjは「この人達の仲間入りをするぞ!」と心に誓ったのである。
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Honjは高卒である。もちろん卒業後はすぐに「シンガーソングライター」として世界を飛び回って活躍したかったが、実力もお金も勇気もなかったので、とりあえず3交代勤務の会社に就職しようと思ったのである。なぜ3交代かというと、やはりギターの練習を夜するのは近所迷惑なので、スケジュール次第で日中に時間がとれる3交代勤務が良かったのである。 この理由を聞いた担任の先生は「そしたら運送会社にする?1社募集がきとるけど、3交代かどうかはわからへんなぁ。でも運送屋さんって夜に伝票整理したりするから3交代の可能性高いで。それに融通も効くし。」ということで勧められたのが富士通。そう、あの「信頼と創造のFujitsu」である。でも当時はそれほど有名ではなかった。少なくとも加古郡では無名であった。Honjは「へぇ〜、富士通運じゃなくて富士通か・・・。なんかしゃれとんなぁ。」と、その運送屋の採用試験を受けることにしたのである。。。 もちろん「コンピュータの大企業である」ということは、すぐに進路指導の先生から教えていただきました。。。
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「当社で何をしたいかね?」と一人の面接官が聞いた。 「いや、特に何をってわけじゃないんですが、とりあえず2年くらいがんばって、その後辞めようかと思って・・・。」とHonj。 それを聞いて3人の面接官はメモをとるのもやめて「なんでだね?」とびっくり。Honjはシンガーソングライターになりたい事、その先の将来の夢を正直に話した。「だから、ずっとこの会社に居るわけにはいかないんです」と。
3人の面接官はしばらく顔を見合わせて、そして大声でわらいだした。「わっはっは。君は正直だねぇ。そういうことは普通は隠しておくもんだよ。で、誰が好きなんだね?」。 学校に戻り、その報告をしたら「あんたアホか!」と先生からめちゃめちゃ怒られました。「そんなこと言ったら、絶対落ちるわ!」と。。。
後日、富士通からきました。「採用通知」が。。。
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